JIN / 舞踊家(ぶようか)。
現役プロダンサー、フランス在住。87年大阪の田舎町に生まれ18歳でダンスを始め23歳でプロとして契約を締結した。
JIN
「生きることに、繋がるダンスを。」をモットーにしたWebメディア »いま、からだでできること。 »を運営している、JINです。
このページでは、
- 簡単な自己紹介
- 今まで歩んできた人生
- « いまから »ってどんなメディア?
- これからの展望について
など、お話したいと思います!
簡単な自己紹介
旅が趣味で、いままで韓国、シンガポール、ラオス、マレーシア、ドイツなど多数の国に渡航しました。特に歴史的な風情の残った場所が好き。
世界中にファンができるアーティストになるのが将来の夢。
- 1987年10月4日生まれ、A型
- 2人の姉と両親の5人家族
- 大阪と奈良の境にある田舎町に生まれた
- 小学校の頃は目立たず地味な少年だった
- 高校に入る頃にパソコンに興味を持つ
- 大学を休学し本格的にモダンバレエを学ぶ
- 23歳で新潟でプロダンサーとして契約を結ぶ
- 28歳でフランスへ移住しフリーランスで契約
- 渡仏し2週間で初仕事のオーディション合格
- フランスでパスポートタランを4年取得
簡単に書くと、こんな感じです。
いまの主な仕事は、
- プロダンサー・アーティストとして出演する
- 舞踊家として振付家とパフォーマンスをする
- プロの舞踊家志望の若いダンサーの養成
などなど、「いま、からだでできること」に真っ直ぐ挑戦してます。
今まで歩んできた人生について
学生時代の現実
私は大学4年生まで、体育会の部活で体育ダンスをしていました。
18歳でよさこい祭りをきっかけにダンスに目覚めた、完全ド素人のバレエ未経験者でした。 友達に誘われてサークルに入ったので毎日ストレッチから、練習・練習・練習の日々。
あと、先輩の女性ダンサーに憧れて認めてもらおうと必死でした。
なので、あつい青春と恋に生きる普通の理工学生でした。
この時の経験で、舞台で輝く楽しさを教えてもらった気がします。
いずれにせよスポーツとアートの間で今の私が培われたことは間違いないです。 当時の私は、これといった「夢」がありませんでした。
実は、ずっと目指していたプログラマーやデザイナーの夢に破れた時期だったからです。
大学の初回の講義で、プログラミングに必要な学力が足りていなくて手も足も出ない状態でした。
だから余計に、サークルのみんなとステージで踊ってる時間に「生きている意味」を感じて、とにかく感動してもらいたいと必死でした。
ただただ、毎日とりあえずレッスンしたい気持ちでワクワクしてたんです。
研修生として合格した。けど…
大学3年生の時、偶然見つけた外部の団体のオーディションに合格し、研修生として入団することが許可されました。
その研修期間で、ダンサーとしての適性や能力を判断されて、本団員として給料をもらえる契約を頂けるかが決まります。
私は当然、もう練習と努力を重ねました。
そして、最初の壁にぶち当たって挫折します。 本格的に週5日以上のレッスンをはじめて、私が違和感を覚えたのは「足の痛み」でした。
例えば、ジャンプやターンが続いたレッスンやリハーサルの後には、必ず痺れたり、痒くなるような感覚がつきまとう。
靴下が小さいような違和感を覚えました。
とにかく、痛い。 少なくとも3ヶ月は毎日我慢しながら、レッスンを続けて努力しました。8時半に劇場に行って、22時過ぎごろまで自主練して寝る。
そんな生活を続けていたんです。
そして、両足の違和感が限度を越えたある日「プチっ!」という音と共に、膝が崩れました。原因は慢性の運動性の疲労からくる「両脛骨疲労骨折」でした。
朝も夜も痛みで寝られず、医者からはドクターストップギリギリで200錠ほどの痛み止めをジェネリックで買い貯めて、1度に4錠飲んで泣きながら我慢をする日もありました。
とにかく、痛い。痛い!痛い!!!
そんな気持ちでストレスも重なり、テーピングに掛かるお金もバカにならず、かかりつけの接骨院で治療を受けながら、最終的には「手術のしようが無いので、今すぐ安静にしてください。」と言われてしまいました。
結局のところ、私は運動のセンスがなかったんです。
自分が思っていた以上に、「身体」のことを知らなさ過ぎた。
そして舞台で「魅了する」って快感を、無邪気に追いかけているお遊戯レベルの実力しかないことに、ようやく気がついたのです。
もちろんその頃、自分の中のちっぽけなプライドは捨てているつもりでした。
でも、先輩や同僚のアドバイスに「もっと素直」に耳を傾ける余裕があれば、もっとラクチンだったに違いありません。
だけど私は、モヤモヤの渦の中にいて人に話せる状態ではありませんでした。
現実逃避。
大学の先生や友達、先輩のアドバイスも無視してたどり着いた「ダンス漬け」の理想の生活は、まさに地獄の毎日でした。
プロの世界のことを何も知らずに、目を瞑ったまま道路を車で走るような無謀なチャレンジは、たったの3ヶ月で失敗に終わります。
私が続けていた練習は、とにかく言われたことを忠実に、真面目に、ストイックに続ける。それしかなかったです。
毎日、「プロになりたい!!!」という思いだけで、肩肘を張って努力し続け、周りを敵に回して孤独になる不器用な悪循環から、抜け出せませんでした。
それでも常に、「今より美しく踊りたい」という未来を求めていました。どうしても、現状から抜け出したかったんです。
そんな時、休日に自転車で通える距離で唯一の娯楽だった中央区の「蔦屋」で、「やさしい人体工学」の本を手に取って、改めて自分の武器と向き合うことになりました。
メンタルが落ちている時には「許す技術」を読んだり、想像力が欠如しているときは、村上春樹さんの「ノルウェーの森」を購入して、もっと自由な踊りと表現に触れたいという欲が出てきました。
バイクが好きだったので、愛車のCB125で夜になると1人海を見に行ったりもしてました。
いまより遠くに行きたい。そんな気持ちがあったからです。でも結局それは、ただの現実逃避だったのかもしれません。
でももう、「逃げたくない」と思いました。
プライドを捨てられず、知った風な顔をして、1人で無意味な我慢を続けて、不満を撒き散らしながら舞台に立つような人間には、なりたくないと心から思ったからです。
だから、どうやったら「プロ」になれるんだろう?と真剣に、落ち着いて考えました。
その答えは、「プロの声を聞く」ことでした。
理由は単純。
選ばれているプロの真似をすれば、必ず成長のスピードは上がるからです。
思い立った私は、研修生として入団してからお世話になっていた、プロダンサー養成のプロに話を聞いて、もう一度ゼロから「身体」について学びはじめます。
バレエ、演劇、振り付け、音楽、オーディション対策…あらゆる方向から、プロとして選ばれるたった1人のパフォーマーになる方法を、必死に吸収しました。
そして、2度目のオーディションでプロとして契約を頂けることが決まりました。
その後、4年間の期間を通して、韓国、中国、アメリカ、イタリアなどの国にプロのダンサーとして舞台に出演しました。
さらに、日本を代表する小澤征爾さんの指揮するオペラに出演したり、NHKホールでテレビカメラの前で踊る経験にも恵まれました。
ここで完全に1人のダンサーとしてダンスだけで収入を得て、リハーサルから本番まで全て契約した劇場からの報酬で生活が出来るようになりました。
2015年には独立して、1人でフランスのリヨンへと渡って世界の舞台で踊る夢を叶えました。
いまから。ってどんなメディア?
このメディアは、JINが「いま、からだでできること」に真っ直ぐに挑む活動と正直な気持ちを背骨にして、これからプロの舞踊家として羽ばたきたい学生や初心者に向けた、プロの舞踊家養成と仕事術を発信しています。
そのために、
- JINのセミナー情報
- ダンサー(身体を扱う専門家)
- プロとして働く(人材育成)
- フリーランスの仕事術
- ライフスタイル(哲学や解剖学)
などなど、身体の知恵を舞踊(ダンス)と呼びたいJINの視点でお伝えします。
好きなことを仕事にする。
現在の私はフランスの芸術学校の指揮をとる、フランス人の振付家や、女優さんとの作品のリハーサルを抱えながら、「君と仕事がしたい」と嬉しい声をかけてくれる振付家とのコンタクトに追われています。
世界各地のアーティストとのダンサー契約と、後輩の育成。
この2つが今の私のシゴトであり、ライフスタイルです。
私は、自分の本当の「才能や価値」を仕事に繋げていく。というアイデアが、もっと一般的になって欲しいと願っています。
そういう仲間を1人でも増やしたくて、このブログを発足しました。
だから今の私には、ブレない軸があります。
それは徹底して「好きなコトを仕事にする」ということです。
今の時代、個人の能力の高さで収入も変わってくる価値観があります。それは、
「好きなコトを仕事にする」ってどういうことか?
理想の未来を想像し、実現するために集中して吸収し、学び続けること。
だからこのメディアを通して、
心を許せる仲間や恋人に出会い、素敵な時間をシェアすること。
そして、いま目の前にいる大切な人に愛を持って接すること。 そんな「新しい人生」を始めるきっかけを、今日このサイトを見て感じてくれたら、私は最高に嬉しいです。
今後について
個人的な今後の野望を、ご紹介します。
- 世界で有数の超一流カンパニーに所属する
- 生涯を通じて仕事ができる人と出会いたい
- 自分だけのスタイルをつくり上げる
- ひとりでも多くの人に感動を届けたい!
「あなたに出会えて、よかった」と見てくれた方に言ってもらえる、超一流のアーティストとして世界中で愛されますように。
「いつかと思うか、いまだと思うか?」
最後になりますが、日本人はつい「真面目」に働いてしまう本能があります。
- こういうとき、何が正しいのだろう?
- なんて言えば、正しく伝わるのかな?
- どんな結論であれば、褒められる?
みたいなかんじです。
でも、「世界は正解・不正解だけじゃない」と私は思います。
あるとするなら、「あの時の決断は、正解だったんだ」と見方を変えられる生きかたや生き様が、出来るかどうかだと信じています。
だからこそ、自由に、無限大に生きてほしい。
そんな願いが1人でも多くの読者を幸せにできたら、心から嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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