日本との時差は8時間ほど、私の家族と話をする時にはスカイプや国際電話経由なので、朝に電話を掛ける時には常に前もって計算をしています。遠くに住んでいる、画家だった父と1ヶ月に1度くらい話す時には、常に哲学的な発見があり面白いです。
すでに数年前に70歳をこえた父曰く、自身は「観念」で生きてきた人間らしい。つまり、思い込み(アイデア idée)。(4回目のコロナのワクチンを1週間前に母と済ませ、今回はどうやら母に副作用があったようなので、心配しています。)
電話越しに眠気を感じる父の声は、私がまだ朝に順応できていないからか、彼がうたた寝していたのか、ちょっとボケたりしているのか、いまひとつ掴めないが少しばかり不安を感じました。が、そんな杞憂も裏腹に今回も私の興味をくすぐる話題が沢山あったのでシェアします。
Table des matières
アメリカの猫と日本の猫は会話ができる。
三つ子の魂は100歳まで変わらない。つまり、赤ちゃんは五感が発達する時期。だから、この頃に培われた身体感覚は、生涯続く。誰か曰く、人間の赤ん坊は絶対音感である。だから、猫や犬といった動物と、声や音を通じたコミュニケーションが可能なのだ。
単純に考えると、それは理に適っていると思う。言葉の意味ではなく、音の高い低いで聴くだけなら、敏感な身体感覚を持っている者同士で理解し合えるものは多いだろう。
父の話で興味深かったのは、日本語で育てられた犬に、英語でお座りを命じても、言うことを聞かない。逆もまた然り。だが、アメリカの犬と日本の犬同士はコミュニケーションが取れる。まるで会話ができている。という話だった。ほんとうだろうか??経験のある人がいたら、是非話を聞いてみたい。
ニューヨークとシカゴの人の顔には、表情がある。
寅年の父が若き日に渡米した頃、英語が全く話せない父は、ボディランゲージで会話を試みたそうです。しかし、フランスで通じた感覚が通じない。というより伝わっているかが分からない。
相手が何を感じているのか?考えているのか?が身体から見て取れない違和感に、とても驚いた。唯一、ニューヨークとシカゴの人々の顔には「表情」があったといいます。
私は思い込みから、大都市の人間の表情は割とフラットで、冷たく、機械的だと思っていましたが、父が訪れたこれら2つの都市は、私が東京やパリで感じた無表情とは違うものがあるようです。とても興味深い。
猫や動物は、「普通」が変わらない。
人間の普通は、時代と共に変わります。2022年はロシアとウクライナが戦争をしているのが、「普通」の時代。だけど、猫や動物の「普通」は時代が変わっても変わることはない。
ふと考えてみると、猫や動物の話は自然に受け入れられる現象というか、イメージというか、あります。が、人間に置き換えて考えてみると、わからない。なぜでしょう?
思想は、叩けば音がする。思想がない人間を叩いても、音がしない。人間が感じている「普通」は、猫や動物には聞こえない音なのでしょうか?取り止めもなく、考えます。
おまけ
神道、仏道
フランス人の親日家のミュージシャンから、神道と仏道の違いは何か?と聞かれて、私の今まで読んだ本の中に書かれていた事を大雑把に伝えました。
神道は、ブッダ以前の話。仏道は、ブッダ以降の話。だから、神様だけ信じるか、ブッダの生き様の教えを信じるか?が大きく違う。詳しい話は知りません。
フランスで20年近く生活していた父に、キリスト教と仏教、新約聖書と旧約聖書、ヤマトタケルノミコト、ヒンズー教の話を聞いた時に、ふと頭をよぎりました。