予期しない組み合わせで生まれるワクワクが好き

土曜日の朝、日曜の夜に電話連絡をすると自分から決めておいて日付を間違ってずっと電話の前で1時間近く待ちぼうけるミスをした。

わざわざ小雨に濡れながら、朝イチで自転車を漕ぎ適当なカフェを探して入ったのにも関わらず、無駄足になってしまう。それが悔しいので、別の仕事を探してやることにした。

そうだ、来週のパフォーマンスのダメ出しが未だだと思い出すことができた。ヘッドフォンも忘れず皮鞄の片隅に持ってきたので、ちょうどいい。

暖かいコーヒーを片手に1人で黙々と前回のビデオを見返すと、さらに磨きをかけたい部分が多少なりと出てくる。とくに今回の作品のなかで、ソロの部分に目がいった。

言葉や文字に置き換えると、みんな同じようになってしまうから、音楽のジャンルに置き換えながら考えたほうが分かりやすいと感じる。

例えば、狂ったように踊る。という指示に対して、三味線の音から想起する燻銀なイメージと、ロックやメタルから感じる「狂い」は私的には全くちがう。

いつの間にか、平たくてツマラナイと見ていて感じてしまうのは、多分そこにイメージが足りていないんじゃないかと自分なりに解釈して、黄色い少しくたびれたノートにカウントと一緒にメモしておいた。

気がつけば数時間が経過していたので、周りの客層も多少は変わっていたし、お昼過ぎになってお腹も空いていたのでカプチーノと分厚いクッキーの料金をカードで支払い、カフェを出ることにした。

私は古着が好きで、家から自転車で20分以上もかけて通う店がある。

今年はなぜか掘り出し物に出会える機会が多くて、今日も気になって探していたズボンの中から、カーキとグレーのスラックス(詳しく分類できるなら、違うかもしれない)と一見何の模様かわからないが、とにかく目立つピンクとオレンジのウインドブレーカーを2店舗に渡って買って歩いた。

古着を見ていて好きだと思うのは、「絶対にない組み合わせ」を店のハンガーやマネキンに見れるからだ。

可愛らしいレースが入ったの清楚なシャツに、3年ほど使い込まれたアディダスの黒ライン入りジャケットが合わせられていたり、お客さんの誰かがふと残していった(ように見える作戦なのか)脈絡のない組み合わせが見ていて飽きない。

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