2019年も12月になり、今年もあと7日程を残すのみになったので、2019年のフランスでの活動を1ヶ月単位でまとめて振り返りつつ、来年の抱負を思い描こうと思います。
JIN
2015年の10月からフランスで生活をはじめて、慣れない海外生活とフリーランスとしての生活を完全にゼロから立ち上げる。フランスに学生として留学してきたわけじゃないので、生活に必要な手続きも仕事ベースで考える必要があったから、やっぱり苦労しました。助けてくれた同僚と家族に、心から感謝です。
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引越しと仕事の両立に追われた春
1月から4月にかけては、とにかく新しいアパートを探したり舞踊家としての仕事に専念するための書類の用意に必死でした。文字通り寝る間も惜しんでの移動とリハーサル、舞台、移動の繰り返し。
1月はじめに直ぐ舞台があって、その後には未完成だったプロジェクトのパッケージング、その次の週には別作品のアンダースタディを始めた。
2月の後半に入るまでは、アンダースタディを務める振り付け家の別のプロジェクトのクリエーションが入りつつも、ひとの入れ替わりでドタバタと。
フリーランスにも舞踊家の仕事と生きかたに対して、色んな考えの人(国籍、宗教、人生観)がいて、その間に挟まれてが心が折れそうな日々をなんとか切り抜けつつ、最終の週からモンペリエでのクリエーションに入りました。
この辺りで、別に活動をしていたプロジェクトの大詰めスケジュールが猛烈に混み合い、変更、お互いの都合を合わせるギリギリのタイミングを探るハメになり、3月の上旬でなんとか一区切り。
翌週には別作品の公演が数日入っていたので、わずかな間のの休みを挟みつつビデオを見て振りを起こしながら休憩と頭の入れ替え。
この辺りで疲労がピークに達し、精神的にも肉体的にもギリギリになったところで、アパートの移動準備が始まりました。
3月の中旬に入って、フランスの北部にある町でクリエーションが約2週間ありましたが、その間にも1度リヨン経由で舞台を挟んでからのとんぼ返り。
その翌週の4月の頭に再演のパフォーマンスが何度かあったあとに、リヨンへ戻ってアパートを探す手続きと下見、荷物の移動、1週間挟んですぐクリエーションのために2週間モンペリエに缶詰め。
2週間の滞在期間最終日の前日に、スペインで別プロジェクトのパフォーマンスが当日リハなしのぶっつけで終わらせて、朝一の国際列車でフランス国境を超えてモンペリエへ移動、その日の夜にプロジェクトの成果発表パフォーマンス。
週末の休みを2日挟んで直ぐにフランスでアーティスト活動の助成を得るための書類手続きが入っていたので、全ての書類を印刷して見直し、なんとか一回のランデブーで手続きを終えました。
手続きが済んだ週末には、さらに別作品の仕事が入っていたので、数日使ってリハーサルのビデオと本番の様子、数度だけもらったセッションの時間の振り移しを急ぎで。
息をするのもやっとな予定の中で、なんとか怪我もなく(スペインでは寝不足から軽い肉離れになるも直ぐ回復)アパートを探す手続きも完了して引越しを終え、助成で出した書類の手続きが終わるのを待っている数週間の間に、死んだように休みをとったらもう6月に韓国に向かっていました…
ほんとうに怒涛で、記憶も飛び飛び、プロジェクト毎で会う人全員に励まされながら、背中を押してもらって乗り切った期間でした。
ここまでの手続きと状態を確保するために、最短で動いて努力して、2015年10月から2019年4月ごろまで、3年6ヶ月、外国人としてフランスで仕事の知り合いゼロから全てを手探りで始めてかかった。
この期間が、長かったのか、短かったのか、まだ正直わからない。
夏頃から12月まで
6月には韓国で舞台があり、その後はロシアでの本番が続き、フランスで初めての歯医者にもかかりました。何気にこれが一番ドキドキしたし、苦い経験になった。
父も母も体調を崩したり、知らない間に入退院を繰り返していたり、人生について考える時間が少し増えたりしつつ、7月は割と落ち着いた月でした。
とは言いつつ、急遽プロジェクトのメンバー構成を全て変えることになったので、心当たりのある舞踊家の仲間に声をかけて、心機一転でクリエーションがはじまったのは大変だったかも?
8月フランスに来て、ほんとうにはじめて、ひとりで過ごした夏休み。
バカンスはどこへ行くの?と聞かれても、(正直ひとりになりたいから)家でNetflixでも見ながら過ごすよ!とかわして、ほんとうにそうした。
9月に入って、ロシア人振り付け家とのクリエーションも大詰め、10月には初演が迫っていたので改めて行動開始。
ここへ来てフランス語、英語の各ボキャブラリーの足りなさ、至らなさから始まるコミュニケーションストレスにあらためて苦しめられた。
ロシア、イスラエル、日本の別の考えかた、宗教、世代で構成されるチームは、未知数なことが暴風のように混ざり合っていて、ひとりの舞踊家として、仕事人として、あらためて「足りない」という悔しさにぶちあったった。
10月にはその舞台を紆余曲折ありながら終えて、11月にはフランスほぼ最北の街まで出向いてのクリエーション。
リヨンに帰ってきて、あれよあれよという間に12月の最終クリエーションのレジデンスが終わって、デブリーフィングで振付家から正直な感想と話し合い、向かうべき方向の再確認となりました。
このデブリで出た話の中で出た、「アーティストと仕事の関係またはバランス」について、舞踊家として思考や活動を一本化することになった。
アーティストと仕事の関係またはバランス
JINの個人的な歴史からいうと、「アート=夢」だったことは、ほんとうに一度もなかったです。つまり、常に「アート=現実」でしかなかった。
アーティストだった父の背中と生活を物心ついた頃から見続けて、精神的に苦しい思いを何度もしてきた。(もちろん、側から見れば、十分恵まれた環境だったのかもしれない。)
そういう幼少期からの経験からか、ほんとうにアートに対して「遊び」が少ない関わり、活動ばかりに文字通り「追われ」た自分がいた。
だから、自分がプロの舞踊家になった時は人生が変わった気がしたし、最初は実感が沸かなくても、その後は達成感を肌で感じることができた。
そしてフランスで活動をはじめて、まず驚いたのが「踊ること」や「舞踊家」の活動に対する独特なユルさ。
個人的に言えば、社会にアートとして舞踊が認められてきた国と、そうでない国では当然、根底にある「それでも」という気概が違う。
その上で、あらためて舞踊家として国立の学校に通って学ぶことの経験が、どれほどプロの舞踊家として「のびしろ」を与える教育に繋がるのか?を知った。(この辺りは話がややこしくなるので、今は割愛する。)
アーティストと仕事の関係またはバランスについて話すとき、確かに外せないのが「報酬」としてのお金の話で、これが社会的なシステムと繋がっていると、これもややこしい。
シンプルに言えば、「アート」は「お金」にイコールで繋げられるか?という疑問。つまり、見返りに明確な額の見返りの報酬をお金として貰えない場合、それはなんなのか?ということ。
フランスでは、舞踊家の「仕事」という社会的な枠組みが、たしかに社会保障のシステムの中に存在する。だから、踊ることが仕事になった時点で、全ては明確に数値化され、報酬もお金としてそれなりに税金を差し引いてから振り込まれる。
だから、この数値化された「お互いの関係」が、どうしても人間関係の気持ちの部分のバランスに多少歪な感覚を与える。
つまり「仕事だから踊る」という人と、「仕事じゃなくても踊りたい」という人が、否応なしにお互いを認識し、考えてしまう。
自分の場合は、「フランスで自分のチカラと実力だけで長期滞在のVISAをとる」ための最低条件を満たすって目標を念頭において活動を広げてきたから、どうしても「仕事」として受けられる案件を優先してきた。
すると、すでにパッケージングされた作品の振り付けを貰ってパフォーマンスする機会が多く、リハーサルの時間が極端に少ない消費的なスタイルになった。
日本で踊っていた時に、パフォーマンスのツアーだけが続いてリハーサルの期間が減った時に覚えた不安と似ていると思う。
いま一度、「いま、身体でできること」をベースにした活動をしたい。
2020シーズンの活動構想と予定
2020年は、今年よりも舞踊家として進化したい。新しく学び始めたリリーステクニックと解剖学の基礎を足して、次元が違うレベルを目指したい。
学ぶ姿勢も、学ばれる覚悟も、自信を持って背負っていきたい。
それと同時に、自分で広げられる活動の価値や出会い、繋がりをより強固にするために時間を割くのも面白そう。何より、自分から発案してゼロから仕掛けるって昔からドキドキする。
フランスに来て、外国人として生活すること、仕事をすること、お金を稼ぐこと、自分ってひとりの人間に関わる沢山の責任や立場について向き合って、いまだに驚くことばかり。
プロの舞踊家として、パフォーマーとして、足らなかったり、悔しかったり、そういう気持ちのバランスをとる部分に疲れたり、それでも舞台に立ち続けるってやっぱり並大抵じゃない。
今年できなかったこと、やっと気づいたことを踏まえて飛躍する年にしよう。
- もっと才能のある人と仕事を増やす
- 収入のレベルを安定させて強くする
- 面白い!を具現化する仲間を増やす
この3ヶ月の間はどんな進捗があったか?
2020シーズンが始まって3ヶ月、あらためて「いま、身体でできること」を念頭に、才能のある仕事人やアーティストの仲間と「面白い!」を具現化するために、見つめ直した。
ダンスのために、ダンスをしたくない。
そして一番ハッキリでた結論は、デザインで捉えすぎていた癖を直して、新しい目を持ちたい。ってこと。
フェルデンクライスや、解剖学、クライミング、ジム、映画観賞、これから始めたい全てのことに通じる目の養いかたを、ようやく見つけることができました。
なにより「感謝」の気持ちを持つことが、こんなに身体を楽にしてくれるって驚きが一番おおきい進歩かも。
人に自分に誠実に精進し続ける
フランスで出会った振付家や、一緒に仕事がしたい仲間に少しずつ恵まれて、助け合いながら進めてきたプロジェクトが育ったり、評価を受け始めた2019シーズンを経て、来年は深みを増していきたい。
まだ思案中の部分もあるけど、組織に入るしかなくても、組織に入れなくても、高いところを目指さずにはいられない。だから、人に自分に誠実に精進を続けていくしかない。そう強く思います。
今年も応援、ありがとうございました。
来年も精進いたします。引き続き応援、宜しくおねがいします!
JIN