【New】SROコンサル生の声を掲載しました。

PROFILE

JIN。現役プロダンサー、フランス在住。 誰かのバックで踊る生き方ではなく、「手の動き一つで世界が感動する表現者に」。 愛猫のMAX。

旅が趣味で、いままで韓国、シンガポール、ラオス、マレーシア、ドイツなど多数の国に渡航しました。特に景色の綺麗な場所が好みです。Tim Burton監督の映画で踊るのが夢。 主なシゴトは

  • フランスのカンパニーとダンサー契約
  • Soleil Liquideのアーティスト企画
  • オンラインサロン「SRO」主催
  • Dance Hubイベント開催

現役のプロダンサーとして、舞台でパフォーマンスをすることでマネタイズし、主催しているオンラインサロン「SRO」では、「生きることに、繋がるダンス」をテーマに、クライアント様だけのダンス・スタイルを見出してプロのアーティストになるまでのノウハウを指導し、知性・感性・技術を磨きながら総合的に「選ばれるビジネス」を構築することを目指しています。

日本を飛び出して、私のように”固いスタイルに縛られない、自由なライフスタイル”をクライアント様に向けて発信し、フランスでも活きるインフォメーションや、IT、飲食、人材教育のセミナー、リアルイベントを企画して「好き」をカタチにするオーガナイザーとしても幅広く活動しています。

学生時代の現実

私は大学4年生まで、体育会の部活でダンスをしていました。18歳でよさこい祭りをきっかけにダンスに目覚めた、完全ド素人のバレエ未経験者でした。 友達に誘われてサークルに入ったので毎日ストレッチから、練習・練習・練習の日々。まさに、青春と恋に生きる普通の理工学生でした。

この時の経験で、舞台で輝く楽しさを教えてもらった気がします。 いずれにせよスポーツとアートの間で今の私が培われたことは間違いないです。 当時の私は、これといった「夢」がありませんでした。実は、ずっと目指していたプログラマーやデザイナーの夢に破れた時期だったからです。

大学の初回の講義で、プログラミングに必要な学力が足りていなくて手も足も出ない状態でした。 だから余計に、サークルのみんなとステージで踊ってる時間に「生きている意味」を感じて、とにかく感動してもらいたいと必死でした。ただただ、毎日とりあえずレッスンしたい気持ちでワクワクしてたんです。

研修生として合格した。けど…

大学3年生の時、偶然見つけた外部の団体のオーディションに合格し、研修生として入団することが許可されました。その研修期間で、ダンサーとしての適性や能力を判断されて、本団員として給料をもらえる契約を頂けるかが決まります。 私は当然、もう練習と努力を重ねました。

そして、最初の壁にぶち当たって挫折します。 本格的に週5日以上のレッスンをはじめて、私が違和感を覚えたのは「足の痛み」でした。 例えば、ジャンプやターンが続いたレッスンやリハーサルの後には、必ず痺れたり、痒くなるような感覚がつきまとう。靴下が小さいような違和感を覚えました。

とにかく、痛い。 少なくとも3ヶ月は毎日我慢しながら、レッスンを続けて努力しました。8時半に劇場に行って、22時過ぎごろまで自主練して寝る。そんな生活を続けていたんです。

そして、両足の違和感が限度を越えたある日「プチっ!」という音と共に、膝が崩れました。原因は慢性の運動性の疲労からくる「両脛骨疲労骨折」でした。 朝も夜も痛みで寝られず、医者からはドクターストップギリギリで200錠ほどの痛み止めをジェネリックで買い貯めて、1度に4錠飲んで泣きながら我慢をする日もありました。

とにかく、痛い。痛い。痛い。

そんな気持ちでストレスも重なり、テーピングに掛かるお金もバカにならず、かかりつけの接骨院で治療を受けながら、最終的には「手術のしようが無いので、今すぐ安静にしてください。」と言われてしまいました。 結局のところ、私は運動のセンスがなかったんです。自分が思っていた以上に、「身体」のことを知らなさ過ぎた。

そして舞台で「魅了する」って快感を、無邪気に追いかけているお遊戯レベルの実力しかないことに、ようやく気がついたのです。 もちろんその頃、自分の中のちっぽけなプライドは捨てているつもりでした。でも、先輩や同僚のアドバイスに「もっと素直」に耳を傾ける余裕があれば、もっとラクチンだったに違いありません。

だけど私は、モヤモヤの渦の中にいて人に話せる状態ではありませんでした。

現実逃避。

大学の先生や友達、先輩のアドバイスも無視してたどり着いた「ダンス漬け」の理想の生活は、まさに地獄の毎日でした。プロの世界のことを何も知らずに、目を瞑ったまま道路を車で走るような無謀なチャレンジは、たったの3ヶ月で失敗に終わります。

私が続けていた練習は、とにかく言われたことを忠実に、真面目に、ストイックに続ける。それしかなかったです。 毎日、「プロになりたい!!!」という思いだけで、肩肘を張って努力し続け、周りを敵に回して孤独になる不器用な悪循環から、抜け出せませんでした。

それでも常に、「今より美しく踊りたい」という未来を求めていました。どうしても、現状から抜け出したかったんです。 そんな時、休日に自転車で通える距離で唯一の娯楽だった中央区の「蔦屋」で、「やさしい人体工学」の本を手に取って、改めて自分の武器と向き合うことになりました。

メンタルが落ちている時には「許す技術」を読んだり、想像力が欠如しているときは、村上春樹さんの「ノルウェーの森」を購入して、もっと自由な踊りと表現に触れたいという欲が出てきました。 バイクが好きだったので、愛車のCB125で夜になると1人海を見に行ったりもしてました。

いまより遠くに行きたい。そんな気持ちがあったからです。でも結局それは、ただの現実逃避だったのかもしれません。 でももう、「逃げたくない」と思いました。プライドを捨てられず、知った風な顔をして、1人で無意味な我慢を続けて、不満を撒き散らしながら舞台に立つような人間には、なりたくないと心から思ったからです。

だから、どうやったら「プロ」になれるんだろう?と真剣に、落ち着いて考えました。その答えは、「プロの声を聞く」ことでした。理由は単純。選ばれているプロの真似をすれば、必ず成長のスピードは上がるからです。 思い立った私は、研修生として入団してからお世話になっていた、プロダンサー養成のプロに話を聞いて、もう一度ゼロから「身体」について学びはじめます。

バレエ、演劇、振り付け、音楽、オーディション対策…あらゆる方向から、プロとして選ばれるたった1人のパフォーマーになる方法を、必死に吸収し、2度目のオーディションでプロとして契約を頂けることが決まりました。

その後、4年間の期間を通して、韓国、中国、アメリカ、イタリアなどの国にプロのダンサーとして舞台に出演し、日本を代表する小澤征爾さんの指揮するオペラに出演したり、NHKホールでテレビカメラの前で踊る経験にも恵まれました。

ここで完全に1人のダンサーとしてダンスだけで収入を得て、リハーサルから本番まで全て契約した劇場からの報酬で生活が出来るようになりました。 2015年には独立して、1人でフランスのリヨンへと渡って世界の舞台で踊る夢を叶えました。

好きなことを仕事にする。

 

現在の私はフランスの芸術学校の指揮をとる、フランス人の振付家や、女優さんとの作品のリハーサルを抱えながら、「君と仕事がしたい」と嬉しい声をかけてくれる振付家とのコンタクトに追われています。

また、2017年4月から、ダンサー志望の学生、社会人の方々を対象に、「SRO」というオンラインサロンを主催しています。

2018年8月現在、70名近いメルマガ会員様に恵まれて、「生きることに、繋がるダンス」を軸にしたイベントの企画も考えています。 世界各地のアーティストとのダンサー契約と、後輩の育成。

この2つが今の私のシゴトであり、ライフスタイルです。 私は、自分の本当の「才能や価値」を仕事に繋げていく。というアイデアが、もっと一般的になって欲しいと願っています。そういう仲間を1人でも増やしたくて、SROを発足しました。

これまで、実際に声を聞いてアドバイスをしたり、オーディションの準備を手伝ってプロとして契約を得るという結果を手に入れた19歳の女の子や、わずか1週間の準備期間で、芸術監督から名指しで褒められるまでの成長を遂げたメンバーを見たとき、心から嬉しく思いました。

そして将来、SROの仲間とパリのオペラ座で踊る日がきたら幸せだと思います。小さなギャラリーイベントや、美術館のコミュニティと連携できたら面白そうですね。 今の私には、ブレない軸があります。

それは徹底して「好きなコトを仕事にする」ということです。今の時代、個人の能力の高さで収入も変わってくる価値観があります。 「好きなコトを仕事にする」ってどういうことか? それは、理想の未来を想像し、実現するために集中して吸収し、学び続けること。

心を許せる仲間や恋人に出会い、素敵な時間をシェアすること。そして、いま目の前にいる大切な人に愛を持って接すること。 そんな「新しい人生」を始めるきっかけを、今日このサイトを見て感じてくれたら、私は最高に嬉しいです。

「いつかと思うか、いまだと思うか?」

最後になりますが、日本人はつい「真面目」に働いてしまう本能があります。

  • こういうとき、何が正しいのだろう?
  • なんて言えば、正しく伝わるのかな?
  • どんな結論であれば、褒められる?

みたいなかんじです。 でも、「世界は正解・不正解だけじゃない」と私は思います。あるとするなら、「あの時の決断は、正解だったんだ」と振り返り方を変えられる生き方が、出来るかどうかだと信じています。 だからこそ、自由に、無限大に生きてほしい。 すべての決断を「ベストなタイミング」でし続けることが、生きることなのだから。